じり貧

 その昔、前方後円墳で赤っ恥をかいた私であるが、 性懲りもなくまたやらかしてしまった。
 今度は「じり貧」。

 「じりびん」と読んでいた。「じりびん」だと信じて疑わなかった。
 だから、じりびんじりびんと連呼していた。 ……「どうぶつの森」 のカブ価のせいである。

 間違いを指摘してくれたのは、今回も夫だった。

「じりひん〜? そんなわけないじゃん。じりじり貧乏になるんだから、じりびんに決まってんじゃん」
 顔を真っ赤にして言い訳した私だったが、それなら「赤貧」や「清貧」はどうなるのだという話である。
 そもそも、前方後円墳のときもそうだったが、「じりびん」では変換できない。
 当然、辞書にも「じりひん」とある。

 分が悪い。
 いや、どう見ても負けているのだが。

 しかし、このまま負けを認めるのも何だか恥ずかしかったので、私は更に言い訳をした。
「じりひんなんて言いづらいじゃん!」
 前方後円墳のときと同じ言い訳だが、偽らざる気持ちでもある。

 じりひん。
 まったくもって言いづらい。と言うか、力が抜ける。
 「ぜんぽうこうえんふん」と同じくらい力が抜ける。
 なぜ、こんな力の抜ける言葉が存在し続けていられるのだろう。 「えんふん」や「じりひん」には空気が漏れるような脱力感があると思うのは私だけなのか?

「前方後円墳だけではなかったようだな」
 間違いを指摘してくれたとき、夫はそう言った。
 それはとても優しい見方だと、私は思う。
 二度あることは三度ある。まだ発覚していないだけで、私の間違いは他にもあるような気が、今はしている。
 とりあえず、「は行」+「ん」の組み合わせには注意しようと思う。

2009.03.25